徳島の木を、ただ加工するだけじゃない。森で育った一本が、暮らしの中で生きるまでの全工程に責任を持とうとする会社。株式会社阿波林材です。
今回お話を伺ったのは、代表取締役の大岡将友さん。
取材終了間際、私たちは、急に “胸が締めつけられる話” を聞くことになります。
社長に就任して間もなく、工場が火災で全焼。その瞬間、
「1時間で、会社をどう立て直すか考えてこい」そうお父さん(現会長)に言われたそうです。
普通なら、言葉を失ってしまうような出来事です。
けれど大岡社長は、その出来事を静かに語ってくれました。
工場の再建は父が担う。自分が父から言われたのは、ただ一つ。
「売上を落とすな」
その言葉を胸に、同業者や協業業者を奔走し、仕事を止めないために走り続けた日々が、いまの阿波林材をつくってきたことなど、この件に関しては後述しようと思います。
大岡社長の話を聞いていると、その言葉の一つ一つが「理念」ではなく「判断」として、毎日の仕事の現場に息づいていることが分かってきます。
「“木を大切にする” とは、丁寧に扱うことだけではなく、仕入れの姿勢であり、取引の在り方であり、森と町をつなぐ挑戦でもある。」
大岡社長の挑戦と覚悟は、徳島の森と地域の未来を担う阿波林材の在り方そのものなのだと、今回のインタビューで強く感じました。
勝つことも、折れることも知っている人

大岡社長は、5人兄弟の長男。会長であるお父様は野球経験者で、まるで星一徹のようなスパルタ。母は自宅で駄菓子屋を営み、近所の子どもたちがいつも集まる家だったそうです。小さい頃から年上の子に混ざって遊び、空き地で野球をするのが日常でした。
小学4年生で野球部に入り、中学も高校も野球部。名門池田高校では、自身が3年生の春に優勝を経験します。けれど夏、格下を侮ってしまい、まさかの敗戦。勝つ喜びと同時に、「気の緩みが一瞬で積み上げを崩す」怖さも、身体で覚えた経験でした。
さらに胸に残るのが、“自分の中の天狗” と向き合った経験。
高校1年生で試合に出られるほどの手応えがあった分、学校生活でも偉そうになり、態度が悪く、監督に呼ばれ厳しく叱られました。そこから1年以上もの間、試合で使われなくなり、「やってられん」という感覚のまま腐りかけた時期が続きました。
それでも踏みとどまれたのは、練習を見に来てくれていた大先輩のひと言でした。
「お前はいいもの持ってる。だから大丈夫」
その言葉を胸に、2年生の夏までの苦しい時間を耐え抜きました。今でも大岡社長の “芯” に残っている場面です。
「プレハブ小屋」から始まった、12年の修行
大学進学で福岡へ。卒業後は就職氷河期のなか、阿波林材のお客さんでもあった滋賀の材木問屋、立ち上げたばかりの株式会社シガオータランバーへ入社しました。
入社当時、事務所はなく、プレハブ小屋が職場だったといいます。何もないからこそ、立ち上がっていく熱があった。そんな環境が、逆に良かったのかもしれないと大岡社長は振り返ります。
そこで出会ったのが、中嶋社長。「1億円売り上げる営業マン」として結果を出してきた人で、頑張った分をきちんと給与で返してくれる。大岡社長をよく食事に誘い、マンツーマンで事業の話をしてくれる。仕事を “面白くする背中” を見せてくれる経営者でした。
叩き込まれたのが、あの言葉です。
「商売にはルールはないが、マナーはある。マナーが悪い商売人になってはいけない。」
大岡社長にとってこの “マナー” は、形式的な礼儀ではありません。
むしろ真逆で、相手の顔が見える取引をすること、そして自分の都合より相手の納得を優先することです。
実際、大岡社長は営業なのに「セールスが苦手」だったと言います。
ガツガツ売り込むより、お客さんと世間話をして帰るような営業。キャンペーン商品をさらっと紹介しても、「別に買わなくていいですよ」と言ってしまう。時には、他社の商品を持ち出された時に「それ、安いから絶対買った方がいい」と背中を押すことさえもあったといいます。
“売る” より “信頼” を得る。
短期の数字より、長い関係を築く。
その結果、あまりに売り込まないから逆にお客さんが「かわいそうになって買ってくれた」のかもしれないと笑うけれど、そこにあるのは、お客さんの事を考え、お客さんのためになることを優先させる大岡社長の誠実さでした。
もちろん、ここでも “大岡社長の天狗” は時折顔を出します。
営業成績が良いと、また調子に乗りそうになる。そして社長に叱られる。けれどそれも含めて、みんなに可愛がられ、認められ、アットホームな空気の中で育ててもらった、そんな居心地のいい12年間でした。
「帰ります」が言えなかった夜。居心地の良さと、葛藤の末に

そんな居心地のいい12年という時間が過ぎた頃。
大岡社長は “帰る” 決断をします。しかしこれが簡単には言えなかったんです。
中嶋社長と2人の食事中、辞めることを伝えようと思いながら、迷いがあってなかなか言い出せない。「徳島に帰ります」と切り出すまで、2時間以上かかったといいます。
泣きながら話をし、寂しさで胸がいっぱいになり、言葉が出なかったです。中嶋社長も泣いていました。大岡社長はそう振り返ります。
それほど、職場の居心地が良かった。
社長の奥様にも大切にしてもらい、独身の頃は毎日お弁当を作ってくれたり、結婚後も大岡社長の奥様と一緒にランチに行ってくれたり。会社でも、お客さんのところでも送別会も開いてくれて、みんなに愛された滋賀県でのお話が、とても印象的でした。
さらに、大岡社長は一時期こう迷っていたとも語っています。
「自分はナンバー2もできるタイプ。中嶋社長の息子さんが継ぐなら、ナンバー2でやっていくのもいいかもしれない。」
そんな居心地がいい場所から、それでも帰った理由はとてもまっすぐでした。
「阿波林材がなくなるのが嫌だった。」
“戻る” という決断は、過去へ戻ることじゃない。大岡社長にとっては、阿波林材を未来へつなぐために戻ることでした。
頼られる会社は、難題から逃げない

阿波林材がよく言われる言葉があります。「難しい案件は、阿波林材に言えば大丈夫。」
この言葉は、偶然の評判ではありません。
阿波林材の根っこには、創業の頃から続く “選び方” があります。
原木市場で所長を務めた会長が独立したとき、世の中はちょうど競争が激しくなっていくタイミングでした。そこで会長は、みんなが同じ方向に走るなら、あえて違う道を選ぶ。「他社がしないことをやる。」つまり、特注寸法や手間のかかる仕事を引き受け続けてきました。
簡単な仕事を、安定して回すのも大切。でも阿波林材は、そこに留まりません。
特注寸法、難しい加工、ひとクセある要望、現場が「困った」と言うところに、真正面から入っていく。大岡社長は、そんな自社の姿勢を少し照れくさそうに、でも誇らしそうに語ります。
「こんな加工できる?って聞かれることがあるんです。新しい刃物を作らないとできない加工。でも、それは裏を返せば刃物さえ作ればできる加工。“根拠はないけど、できます”っていつも答えるんです。まずはできると回答して、そこから考える。」
この「根拠はない」は、無責任な言葉ではありません。むしろ逆で、根拠を “これから作る” という宣言です。
できるかどうかを机上で判断して断るより、「どうすればできるか」を先に考えて、手を動かす。たとえば、刃物が要るなら刃物をつくる。段取りが要るなら段取りを組み直す。
現場に必要なのは、“できません” の説明ではなく、“こうしたらできます” の道筋。
阿波林材が頼られるのは、その道筋を、最後まで一緒に引く会社だからです。
そして、その姿勢は「チャレンジ精神旺盛」だけで終わらない。
大岡社長は言います。チャレンジは、会社の信用に直結する。受けた以上は、仕上げる。守る。間に合わせる。「できる」と言ったからには、最後に必ず形にする。
その背景には、会長が積み上げてきた “難題を受ける文化” があり、
いまは大岡社長が、その文化を「次の時代のやり方」に変えていこうとしている、そんな流れが見えました。
だから阿波林材の現場には、“断らない” だけではない強さがあります。難しい仕事ほど、価値が上がる。手間のかかる仕事ほど、技術が磨かれる。その積み重ねが、いま「難しい案件、どこも嫌がってしない手間のかかる案件は阿波林材」という信頼をつくっているのだと思います。
失っても、止めなかった。― 信頼を守る選択

前述の通り、大岡社長が社長就任して間もない頃、工場が火災で全焼します。
そのときお父さんである会長から言われたのが、
「1時間で、会社をどう立て直すか考えてこい」
工場の再建は会長が担う。大岡社長に任されたのは、ただ一つ。
「売上を落とすな。」
同業者や協業業者、お客さんに頭を下げ、工場を借りる段取りや、納期を待っていただき、仕事を止めないために走り続けました。その日々が、大岡社長の “胆力” を決定的に育てたのだと思います。
そして大岡社長は、ぽつりと、こんなことも言いました。
「もし工場の再建も、営業も、すべてを自分一人で背負わなければならなかったら ―
正直、無理だったかもしれない。でも会長が「再建」を引き受けてくれたから、自分は「止めない」ことに集中できた。」
その役割分担があったからこそ、なんとか走り切れたのだと。
失ったものはとても大きい。
それでも大岡社長は、仕事を止めない道を選び続けました。この人の “現場の覚悟” が、阿波林材の信用になっている。そう確信した場面でした。
「木を大切にする」は、仕入れの姿勢に出る

阿波林材が掲げる【徳島県No.1の木を大切にする製材所】
その “木を大切にする” とは何かを聞いたとき、大岡社長の答えは、加工技術の話だけではありませんでした。
「以前は、お客さんに喜んでもらって、会社に利益が残ることが第一だと思っていた。
でも今は、そこにもう一つある。 森の人(きこり)にも、“阿波林材に売って良かった” と思ってもらわないといけない。」
この言葉は、重い。
木を大切にするということは、木そのものだけでなく、木の背景にいる人を大切にすることでもあるからです。
大岡社長は、業界の “当たり前” に切り込みます。
「仕入れは極力安く買いたい…それは分かる。でも、安く買う努力はするのに、高く売る努力はしない人が多い。」
だからこそ、あの言葉が出てくる。
「丸太を高く買える人は、かっこいいじゃないですか。僕はそうありたいですね。」
この “かっこいい” は、見栄じゃない。山が続くためのかっこよさ。森を未来に残すためのかっこよさ。そして、取引先にも社員にも恥じないためのかっこよさだと感じました。
森を守るって、結局「働ける未来」を守ること

「10年後、徳島の森がどうなっていてほしいですか?」 そう聞くと、大岡社長の答えは、意外なほど現実的でした。
「森に限らず、製材所も業界の賃金が上がっていってほしいです。じゃないと、若者が入ってこない。働き手がいなくなってしまいます。」
森を守るというと、どうしても “自然” の話になりがちです。間伐がどう、植林がどう、生態系がどう―もちろんそれは大切。でも大岡社長は、まず “仕事” の話をします。それは、森が「暮らしの中の現場」だということを、誰よりも分かっているからだと思います。
森は、放っておけば守られるわけではありません。伐る人がいて、運ぶ人がいて、買う人がいて、使う人がいる。その一つひとつの仕事が、生活として成り立っているから、森は循環していく。
もし賃金が上がらないなら、若者は入ってこない。若者が入ってこないなら、現場の手が足りなくなる。手が足りなくなると、山の手入れが遅れ、出材が不安定になり、製材所も安定して動かせず、建築側も計画が立てられなくなる。そして結果的に、地域の木が選ばれなくなってしまう。大岡社長の言葉が胸に残るのは、そこに “当事者の焦り” があるから。「森は大事だよね」で終わらせず、「じゃあどうやって続けるの?」まで一気に引き寄せて話してくれるからです。
そして賃金が上がるということは、単に給料が増えるという意味ではなく、この仕事は “未来に残さないといけない仕事”として、社会に認められるということではないでしょうか。
若い人が「ここで働きたい」と思えるのは、志だけではなく、生活が組めるから。家族を持てるから。子どもを育てられるから。 “働ける未来” とは、そういう現実の上にしか成り立たない。だからこそ、阿波林材が掲げる「木を大切にする」は、木を丁寧に扱うことだけでなく、木に関わる人の仕事を、きちんと未来につなぐことまで含んでいる。そう感じさせられた場面でした。
もりまちレジリエンスで担う「翻訳」という仕事

大岡社長は、BAMBOOメンバーでもある『一般社団法人もりまちレジリエンス』の理事でもあります。
関わるきっかけは、仕事で取引のあった、もりまちの代表理事、鎌田さんから構想を聞いたときに「理想だ」と感じたから。その言葉はシンプルなのに、重みがありました。
森の入口から町の出口までを一本の線でつなぐこと。しかもそれを、誰か一社の手柄にせず、仲間と一緒に “地域の循環” としてつくっていくこと。大岡社長は、そこに迷いなく共感していました。
そして理事としての自分の役割を、こう言い切ります。
「熱い想いで突っ走る、言葉足らずの理事たちの “翻訳や編集” をする役割」
“翻訳” と “編集”。
この言葉の選び方に、大岡社長の人柄がそのまま出ています。
情熱は、そのままでは届かないことがある。言いたいことが大きいほど、言葉が追いつかない瞬間がある。仲間が増えるほど、解釈が分かれ、誤解が生まれ、もったいないすれ違いが起きる。だからこそ、誰かが一度立ち止まって、言葉を整える必要があると思います。
大岡社長がやっているのは、多分 “正しい日本語” に直すことではなくて、「相手に届く形」に変えることだと思います。
印象的だったのは、もりまちに関わることで、阿波林材としての “仕事の見え方” そのものが変わったと語っていたことです。
「以前は、お客さんに喜んでもらって、会社に利益が残ることが中心だった。けれど今は、そこに山側の視点が入ってくる。伐る人の話を聞き、山での仕事の手間や時間の長さを知るほどに、仕入れの意味が変わってくる。これは「もっとお客さんに伝えなければいけないと気付きました。」
もりまちでの “大岡社長の翻訳” は、ここにつながっている気がしました。
森の仕事を、暮らしの中でちゃんと報われる形にする。現場の苦労を、「その値段には理由がある」と言える形にしていく。木を大切にする、という姿勢を、取引や価格や提案の言葉に落としていく。
裏方に見えて、実は共創の中心部。ただ、もりまちは大岡社長ひとりで動いているわけではありません。理事4人それぞれの強みが重なって、はじめて前に進んでいる。
熱で突っ走れる人がいる。現場を動かせる人がいる。森側のリアルを知っている人がいる。そこに大岡社長の “翻訳と編集” が加わることで、もりまちの挑戦は「熱い想い」だけで終わらず、誰かの暮らしに届く形へと近づいていくのだと思いました。
「選ばれる会社」になる。だけど、独り勝ちはしない

次世代へのメッセージをお願いしたとき、大岡社長はこう言いました。
「いったん外に出て経験して、また徳島に帰ってきてほしい。」
そして、目指したい未来をこう続けます。
「選ばれる阿波林材になりたい。仕入れ先からも、お客さんからも、働きたい人からも。」
でも、その先に続いた言葉が、忘れられませんでした。
「阿波林材だけが大きくなっても仕方ないんです。地域の小さな製材所も生き残ったほうがいい。」
成長は、勝ち抜くためだけのものじゃない。地域の循環を “太くする” ための成長でありたい。この視点があるから、大岡社長の言葉はとても温かく、誠実なのだと感じました。
最後に大岡社長は、笑いながら言いました。
「ちょっと成功して、いい車乗って、ブランドのロゴがドーンと入った服を着て…みたいなダサい人にはなりたくないでしょ(笑)」
それはかっこよさを、見た目じゃなく、仕事の姿勢で証明したいという宣言でした。
木を大切にするって、森と暮らしをつなぐこと
阿波林材が言う 「木を大切にする」 は、丁寧に加工することだけではありません。
森の人(きこり)が誇れる取引をすること。町の人が安心して家をつくれるように支えること。そして、若者が ”ここで働きたい” と思える未来を残すこと。
大岡社長の言葉は、その全部を、現場の言葉で語っていました。
BAMBOOにとって、阿波林材の加入は、単なる “新メンバー紹介” ではありません。 森とまちの間にある見えない断絶を、現場の力でつなぎ直す仲間が増えたということ。
もしあなたが、「難しい木の相談をしたい」「特注や加工で困っている」「木の背景まで含めて、ちゃんと価値にしたい」そう思ったとき ― 阿波林材はきっと、頼れる存在になるはずです。
そして大岡社長は、きっとこう言うでしょう。
「根拠はないけど、できます。」
その一言の裏には、1時間で覚悟を決めてきた人の責任が、確かに宿っています。

株式会社 阿波林材ホームページ
https://awarin.jp