岐阜県加茂郡七宗町。
山々に囲まれ、豊かな自然が残るこの町に、木とともに歩んできた会社があります。
『株式会社フクモク』
工場に入ると、木の香りと機械の音。その中で、年齢も出身地もさまざまな社員のみなさんが働いています。
以前、私たちがフクモクを訪れたときのこと。四国・香川県から七宗町へやってきた一人の女性社員が、仕事について楽しそうに話してくれました。
そのときの彼女の表情が、今でも忘れられません。
地方の中小企業では、人材不足や採用難という言葉を聞くことが珍しくない今。それなのに、なぜフクモクには県内外から人が集まってくるのだろう。
そして、なぜそこで働く人たちは、こんなにも生き生きとしているのだろう。
その理由を知りたくて、今回、代表取締役の福井寿典さん―福井代表と、新たに社長としてフクモクの未来を担う高木雄司さん―高木社長、それぞれにじっくりと話を伺いました。
二人の人生をたどっていくと、見えてきたものがありました。
それは、特別な採用手法でも、華やかな経営戦略でもありません。
人を大切にすること。
人を信じること。
そして、自分の人生を自分で選ぶこと。
フクモクという会社の温かさは、どうやらそこから生まれているようです。
家族の背中を見て育った日々

1967年生まれの福井代表。
父が始めた木工の仕事は、のちに株式会社フクモクへとつながっていきます。
幼い頃から、家のすぐそばには工場がありました。父と母が一生懸命働きながら、三人の息子を育てる姿を見て育った福井代表。
けれど、子どもの頃から「自分が会社を継ぐ」と決めていたわけではありません。
むしろ、当時の自分は人前に出るのが得意ではなく、目立つことを好まない子どもだったと振り返ります。
そんな福井代表に最初の大きな変化が訪れたのは、高校進学を機に親元を離れたときでした。
それまでは、家族も友人も身近にいることが当たり前。
しかし一人で暮らし始めると、自分が動かなければ何も始まりません。
久しぶりに地元の友人に会うと、「明るくなったね」と言われるようになったそうです。
そして、もう一つ大きかったのが海外での経験でした。
アメリカで木材関係の会社の研修を経験。言葉も文化も暮らし方も違う場所に身を置き、自分とは異なる価値観を持つ人たちと生活しました。
外へ出たからこそ分かったこと。違う人と出会ったからこそ、広がった世界。
その経験は、後の福井代表の「人との向き合い方」にもつながっていきます。
33歳。父から受け取ったバトン

フクモクへ戻った福井代表は、工場に入り、現場から仕事を覚えていきました。
当時は、仕事があることが比較的当たり前だった時代。
どうやって仕事を取るかというより、「ある仕事を、どう効率よくこなすか」を考えていました。
ところが、時代は大きく変わります。バブル崩壊後、取引先は在庫を減らし、製造の海外移転も進みます。これまであった仕事が、少しずつなくなっていく。
そんな時期に、父から言われました。
「社長をやれ」と。33歳でした。
そこから福井代表は、現場で働きながら営業にも出るようになります。待っていれば仕事が入ってきた時代から、自分たちで仕事を探す時代へ。
決して順風満帆ではありませんでした。
新たな事業の柱をつくろうと住宅事業にも挑戦しました。約10年間、思うようにいかない時期もありましたが、モデルハウスをつくり、設計やコーディネート、資金計画など、それぞれの専門家とともに試行錯誤を重ねてきました。
そうした経験を重ねる中で、福井代表が大切にしてきたのが、自分の考えだけで相手を決めつけないことです。
自分にとっての当たり前が、相手にとっての当たり前とは限らない。
育ってきた環境も、考え方も、大切にしているものも、一人ひとり違います。
だからこそ、自分の物差しだけで人を見るのではなく、まず相手を知ろうとする。
その姿勢は、お客様に対してだけではありません。
社員に対しても、地域の人に対しても、そして国籍の違う仲間に対しても、福井代表の人との向き合い方の根っこにあるように感じました。
人と人をつなぐ、その先にあるもの

福井代表と一緒にいると、本当にいろいろな人が集まってきます。
経営者もいれば、行政の方もいる。
地域で活動する人もいれば、海外から働きに来ている社員もいる。
立場や肩書きによって人との距離を変える感じが、あまりありません。
フクモクで働く外国人社員について話を聞いたときも、福井代表の答えはとても自然でした。
「外国人だから」という見方をするのではなく、同じ会社で働く一人の人として接する。
遠く離れた家族のために働く姿を見て、むしろ自分たちが学ばせてもらうこともあるといいます。
相手を大切にすれば、その気持ちはきっと返ってくる。
そんな人との付き合い方を、福井代表は特別なこととしてではなく、ごく当たり前のこととして続けてきました。
以前、私たちが七宗町を訪れた際にも、福井代表は町長や副町長、地域づくりに関わる方々など、たくさんの方とのご縁をつないでくださいました。
福井代表のお話を聞いていると、いつもその中心には「人」がいることに気づきます。
一人でできることには限りがある。
自分にはない知恵を持つ人がいて、自分にはできないことができる人がいる。
一人と出会えば、そこからまた次の人へとつながっていく。
福井代表は、そんなふうに人とのご縁を広げてきました。
福井代表にとって「仲間」とは、ただ親しいだけの関係ではなく、それぞれが持つ知恵や力を持ち寄りながら、一緒に何かをつくっていける存在なのかもしれません。
人と出会い、人と人をつなぎ、そこからまた新しいことが生まれていく。
その姿は、私たちBAMBOOが大切にしている「共に学び、共に歩む仲間」のあり方とも、どこか重なるように感じました。
そして、フクモクに新しい風が吹く

そんなフクモクに、一人の若者が加わります。
高木雄司さん。福井代表の娘婿です。
ただ、高木社長のこれまでの歩みを聞いていくと、「家族の会社を継ぐためにやってきた後継者」という言葉だけでは、とても説明できないことが分かります。
奈良高専で電気工学を学び、その後、大阪大学大学院へ。工学の研究に加えて経営についても学び、海外での経験も重ねてきました。
就職後は、日本の通信インフラを支える大手企業グループで経験を積み、経営層に近い仕事にも携わってきた高木社長。
話を伺えば伺うほど、技術、経営、グローバルという複数の視点を持ち、自分で考え、調べ、判断して前へ進む、これからの時代に求められる次世代リーダーということが伝わってきます。
そんな高木社長が、なぜそれまで築いてきたキャリアを離れ、七宗町のフクモクを選んだのか。
そこには、「後継者だから」という理由だけではない、高木社長自身の人生の選択がありました。
高木社長は、奈良県で育ちました。
少年時代は、とにかく野球。高校まで約10年間、野球に打ち込みました。
両親からは、勉強ばかりするのではなく、
「遊んでこい」と言われて育ったそうです。
ただし、自分が本当にやりたいと決めたことには、惜しまず応援してくれた。
海外へ行きたいと言えば、その機会をつくってくれる。
子どもが自分で選んだ道を、できる限り応援する。
決して特別に裕福な家庭だったわけではないからこそ、高木社長は今、そのありがたさがよく分かるといいます。
「感謝しかないですね」その言葉が印象的でした。
技術の先に見えた、経営という世界

高木社長は、電気工学を学び、当初は研究者を目指していました。
身近に大きな研究拠点があった電気メーカーにも憧れを抱いていました。
ところが、世界トップクラスの技術力を持っていた企業が、経営判断によって大きく揺らいでいく姿を目の当たりにします。
そこで生まれた疑問が、
「世界に誇る技術力があっても、経営を間違えれば会社を維持することは難しい…」
というものでした。
だったら、技術だけでは足りない。経営も学ぼう。理系を捨てるのではなく、両方を持とう。
大学院では工学の研究を続けながら経営学を学び、さらに海外へも出ました。
高木社長が自分の中につくったのは、
理系、経営、そしてグローバル。
三つの軸でした。
就職活動でも、日本だけを見ていたわけではありません。海外企業でのインターンも経験し、世界を舞台に働く道もありました。
けれど、海外へ出れば出るほど気づいたことがありました。
「自分、日本が好きなんやな」
安定よりも、心が動く方へ

最終的に高木社長が選んだのは、日本の通信インフラを支える大きな企業グループでした。若いうちから経営層に近い場所で仕事をし、上場企業のトップとも接する。
その先には、経営者としてのキャリアも見えていました。
一般的に考えれば、恵まれた道だったと思います。だからこそ、高木社長は経営者のすぐ近くにいたことで、経営の現実も見ることになりました。
大きな会社のトップになっても、株主がいて、市場があり、組織がある。
自分が本当にやりたいことを、自分の意思だけで決められるわけではない。
「このまま進んだ先に、自分が本当になりたい姿があるのだろうか」
そんな思いが少しずつ芽生えていきました。
その頃には福井代表の娘さんと結婚し、休みになると二人で七宗町を訪れていました。
東京から七宗町へ。
景色も、人との距離も、流れる時間もまるで違います。
山がある。木がある。工場へ行けば、そこで働いている人の顔が見える。社員と経営者の距離も近い。
そんな場所に身を置くうち、高木社長は思うようになります。
「生きている感じがする」
人生の最後に、楽しかったと思える方へ

東京に残れば、収入もキャリアも、ある程度先が見えていた。
七宗町へ移れば、どうなるか分からない。しかも、義父が経営する地方の中小企業です。
それでも高木社長は、フクモクを選びました。
理由を聞いていくと、最後はとてもシンプルな言葉になりました。
「死ぬときに、どっちが楽しかったと思えるかな」
儲かるのはどちらか。肩書きが上がるのはどちらか。世間から評価されるのはどちらか。
それよりも、
自分が一番ワクワクできるのは、どちらなのか。
それが、高木社長の選択基準でした。
そして、もう一つ。
東京の大きな会社なら、自分がいなくなっても代わりはいくらでもいる。けれど、七宗町のフクモクなら、一人が加わることで会社が変わるかもしれない。
会社が変われば、そこで働く人が変わる。その先には、地域の変化もあるかもしれない。自分という一人の人間が、ここにいる意味を感じられる。
それも、高木社長が七宗町を選んだ理由でした。
自ら選んだ、フクモクへの道

ここが、二人の話を聞いていてとても印象に残ったところです。
福井代表は、高木社長に、
「会社を継いでほしいから帰ってきてくれ」
と頼んだわけではありませんでした。むしろ逆でした。
せっかく大きな会社で働き、将来も期待されている。
わざわざそれを手放して、地方の中小企業へ来なくてもいいのではないか。
福井代表はそう考えていました。
それでも高木社長は言いました。
「僕は、覚悟を決めて来ています」
その言葉を聞いても、福井代表はすぐに会社を渡したわけではありません。
一緒に働きながら、高木社長を見ていました。
本当に覚悟があるのか。本当に任せられるのか。
約2年。
その姿を見続けた福井代表は、逆に思うようになります。
「これは、早く渡した方がいい」
信じて任せるということ

福井代表が高木社長を評価しているのは、経歴の華やかさではありません。
年齢の離れた経営者とも対等に話ができる。
必要なことを自分で調べる。考え、判断し、動く。
そして何より、
「本気でここに来たんだ」
と感じたことでした。
だから、任せる。
福井代表自身が父から会社を受け継いだ経験があるからこそ、「任された側」の気持ちも分かります。
福井代表には、これまで会社を率いてきた経験があるからこそ、時には高木社長とは違う考えが浮かぶこともあるそうです。
けれど、高木社長と社員が話し合って決めたことに、福井代表が別の意見を重ねてしまえば、社員はどちらを向けばいいのか分からなくなってしまう。
だからこそ、今は高木社長の判断を尊重し、できるだけ口を出さずに見守るようにしています。
たとえこれまでの経験から、「違うやり方もある」と思うことがあっても、まずは任せてみる。
なぜなら、自分たちの時代の正解が、今の時代の正解とは限らないから。
人に任せるということは、何もしないことではありません。
自分の経験や考えを持ちながらも、一歩引いて、次の世代を信じること。
それもまた、福井代表なりの「任せる覚悟」なのだと感じました。
社員一人ひとりの力を、会社の力に

福井代表が、高木社長について笑いながら話してくれた言葉があります。
「社員ファーストすぎるくらい、社員のことを考えとる」
そこで高木社長本人に、「社員に対して、どんな会社でありたいですか」と尋ねました。
返ってきた答えは、意外なほどシンプルでした。
高木社長自身は、木を加工する職人ではありません。現場には、木を知り、機械を扱い、ものをつくることができる社員がいる。それぞれに、自分にはない力がある。
だから、
「その人たちが持っている力を最大限発揮できる環境を整える。それが僕の役割です」
と。
社員を大切にする。言葉にするのは簡単です。でも高木社長の「社員ファースト」は、単に優しくするという意味ではありません。
一人ひとりが力を発揮できる仕組みをつくる。
必要なら投資する。
働く環境を整える。
そして、人を育てる。
そこまでが、経営者の仕事だと考えています。
18人から31人へ。その次に目指すもの

高木社長がフクモクへ入ってから、会社ではさまざまな変化が始まりました。
手書きやホワイトボードで行っていた管理を見直し、社内のコミュニケーションや勤怠管理なども少しずつ整えてきました。
そして、新しい事業の成長とともに採用も進みました。社員・パートを合わせた組織は、以前の18人ほどから31人規模へ。
短期間で一気に仲間が増えました。
しかし高木社長は、採用できたことをゴールにはしていません。今、最も力を入れているのが、人材育成と管理職の育成です。
「自分一人では、もう全員を見ることはできない」
だから、工場長やその補佐など、次のリーダーとなる人たちを育てる。外部の専門家の力も借り、費用をかけてでも人を育てる。
人が集まる会社から、
人が育つ会社へ。
フクモクは、次の段階へ進もうとしています。
七宗町から、世界へ

事業もまた、大きな転換期を迎えています。
かつて一つの柱だった住宅事業は縮小する一方、製造部門では新しい仕事が育っています。
本棚やサウナ関連の木製品など、新たな製造にも取り組み、第二工場も稼働。
そして高木社長が、その先に見ているのが海外です。国内市場だけを見るのではなく、自分たちの商品をつくり、海外へ届ける。
現在は新商品の開発を進め、アメリカ市場への展開に向けた準備も始まっています。
学生時代に身につけた工学。
経営学。
海外経験。
前職で見てきた大企業の経営。
そして、フクモクが長年培ってきた木材加工の技術。
かつて別々だったものが、今、七宗町で一つにつながろうとしています。
高木社長は楽しそうに話します。
「この木材加工という仕事を、僕みたいな変なやつが入って、どこまで面白くできるか。そこが楽しみなんです」
その言葉を聞いていると、地方の小さな木工会社だから可能性が少ないのではなく、小さいからこそ、一人の挑戦が会社を大きく変えられるのかもしれない。そんなふうに思えてきます。
変えていいもの、変わらず守りたいもの

福井代表に、高木社長へ残してほしいものを尋ねました。
昔と同じ仕事を続けてほしい、とは言いませんでした。
今の事業を守ってほしい、とも言いません。
時代が変われば、会社も変わればいい。
新しい事業をしてもいい。
海外へ行ってもいい。
高木社長が必要だと思うなら、どんどん変えていけばいい。
ただ、一つだけ。
福井代表には大切にしている考えがあります。
それを表すのが、
「縦の軸はぶらさず、横は好きなように」
という言葉です。
自分が今ここにいられるのは、自分一人の力ではない。
創業した父がいる。
その前の家族がいる。
社員がいる。
取引先がいる。
そして、七宗町という地域がある。
その「おかげさま」という縦のつながりだけは忘れない。
そこさえあれば、横にはいくらでも広がればいい。
高木社長もまた、創業者である会長と福井代表、二人の先代と話をしながら、自分のやり方で会社をつくろうとしています。
意見が違えば、
「ここは任せてください。見ていてください」
と伝えることもあるそうです。
それを受け止める二人がいる。
だから、高木社長も前へ進める。
三世代がまったく同じ方向を向いているのではありません。違うからこそ、会社は次の時代へ進んでいける。そんな関係にも見えました。
会社が元気なら、町もちょっと元気になる

福井代表に七宗町のことを尋ねたとき、返ってきたのは壮大な地域活性化の話ではありませんでした。
町にあったお店がなくなっていくのを見ると、寂しい。だったらせめてフクモクは、
「あそこ、頑張っとるね」
と町の人に思ってもらえる会社でいたい。そんな言葉でした。
フクモクでは、地域の子どもたちに木工を体験してもらう機会もつくっています。そこでは、入社してまだそれほど長くない若い社員が、子どもたちにものづくりを教える姿もありました。
教えてもらっていた人が、今度は誰かに教える。県外から来た人が、いつかこの町を支える人になるかもしれない。会社と地域の境界は、そんな小さなところから少しずつ溶けていくのかもしれません。
受け継ぐのは、会社だけじゃない。

福井代表が父から受け取ったもの。
高木社長が福井代表から受け取ったもの。
それは、工場でも、機械でも、会社の名前でも、仕事だけでもありません。
『人を大切にすること』
誰かのおかげで今があることを忘れないこと。
違う価値観を受け入れること。
そして次の世代を信じること。
それが、フクモクの「縦の軸」なのかもしれません。
その軸さえあれば、会社の形は変わっていい。
木材加工から、新しい商品へ。
七宗町から、世界へ。
父から息子へではなく、義父から娘婿へ。
これまでの常識にとらわれる必要もありません。
福井代表は、任せる。
高木社長は、自分で決める。
そして二人とも、相手を変えようとはしない。
だからこそ、その間には不思議な温かさがあります。
高木社長が取材で話してくれた、
「死ぬとき、どっちが楽しかったと思えるかな」
という言葉。
そして福井代表が大切にしている、
「一日一日を、周りの人と楽しく生きる」
という想い。
歩んできた道も、性格も、経営のスタイルも違う二人。けれど、目指しているところは案外近いのかもしれません。
自分だけが成功するのではなく、
周りにいる人と一緒に、いい人生を生きること。
七宗町の山々に囲まれた場所で、木と、人と、地域に向き合うフクモク。
これから会社がどんな姿に変わっていくのかは、まだ誰にも分かりません。
けれど、ここには、人を信じて任せる人がいます。
その想いを受け取り、自分の足で新しい道を切り拓こうとする人がいます。
そして、そんな二人とともに、会社の未来をつくっていく仲間たちがいます。
これまで大切にしてきたものを受け継ぎながら、新しいことに挑戦していく。
フクモクの新しい物語は、まだ始まったばかりです。
▼株式会社フクモク 公式サイト